体操の速見コーチの暴力問題と言葉の暴力について思うこと

日記

昨今のスポーツ界のパワハラ問題で、

様々なスキャンダルが起き、

良い意味でも悪い意味でも時代劇のような、

そんな勧善懲悪を謳う報道が流れて、

ある意味とても勝手ながら、

心がスッとするような気持になっているのは、

なんとなく、自分自身が抱えている社会への不満や

憤りを代弁してくれているような気になるからかもしれない。

 

ただ、今回の体操界の暴力問題については、

非常に激しい嫌悪感を覚えざるを得なかった。

 

まるで魔女狩りのようではないか

今回の騒動を見た時に、

私が最初に感じたのは、

『何であろうが暴力は悪だと』言うことを、

錦の旗とした、自称善人達の魔女への石投げだった。

 

指導と暴力の境目はどこにあるのかは、

それぞれ難しいものだが、

 

『指導だろうが何だろうが、暴力を振るったやつが悪い』

そういった正義の元に、

速見コーチはこんなに悪い人間です、

人を教える資格はありません、

こんなに悪い人間に教わっている宮川選手は

とても可哀想ですね。

皆さんはこんなコーチをどう思いますか?

と大衆をあおる。

それに乗じて、大衆が誹謗中傷の言葉を

コーチへ投げていく。

掲示板やニュースのコメント欄には顔も載らないし、

自分がコメントを投げたとしても

他の人も投稿しているから大丈夫。

何より悪いやつに対して、悪いと言うことに

なんの問題があるのか?

 

でもそれって、中世で行っていた魔女狩りと、

何が違うのだろうか

 

自分というものを残さないで、

行動をすることが出来る時に人の本質が出ると言うが、

余りにもこういった物が表に出過ぎると、

人間の醜さを見せつけられている気がして、

あまりいい気分にはならないですね。

 

本当に危険なことをどうやって教えれば良いのか

例えば、そこに猛獣がいるとして、

まだ小さい子はそれがどれだけ危険かも

解らない状態で、不注意にそれに近寄ろうとした時、

何も叱らないで優しい声で

『危ないから近寄っちゃだめよ~♪』

と声をかけるのと、

必死で駆け寄って、

『そこに近づいてはいけない』

と警告し、それでも言うことを効かない時に、

バシッと叩いてでも近づけないようにする。

 

傍目に見て、前者は確かに優しく、暴力的でなく、

後者は暴力的で小さい子に対してなんてひどいことを

という気持ちになるかもしれない。

 

でも、猛獣に食べられてしまうような恐ろしい状況で、

危険と分かっていながらニコニコと『だめよ~♪』

と言われて、その怖さが分かっていない子供は、

その行為を辞めるだろうか?

本当に取り返しのつかない時になって、

やらなければよかったと思った時には、

足や手、もしくは命すら失う可能性だってある。

 

それが優しさと言うならば、

そっちの方が私は冷たいなとどうしても感じてしまう。

 

池谷選手が、命にかかわるような状況では、

どうしても厳しく教えざるを得ない、

という風に語られていたが、

 

自称善意とするMCさんは、

良く『でも暴力はいけないんだよね』

あんなにひどい暴力をする人間は、

指導する権利すらない、

とてもひどい奴だと、

諸悪の根源のように速見コーチを評している。

 

しかし、体操って結構怖いもので、

不注意な飛び方をしたときに、

下手をすれば脊椎損傷などの取り返しのつかない、

障害を負う危険性もある。

 

そんな恐ろしいことをしている中で、

やってはいけないことをしようとしている、

教え子に対して、

『自己責任だから自分のやりたいようにやればよい』

なんて指導をするコーチに誰が子供を預けるんだろうか?

と純粋に疑問を覚える。

それほど危険なことをしているということが

解らないからそういう風に言うのか、

それともただ単純に『暴力はいけない』という

錦の旗のもとに人に石を投げることを快感としているのだろうか?

 

例えば、

深さ1mほどしかない川に、度胸試しで3mほどの高さから

飛びこもうとしている子供に、

近所のおじさんが『何やっているんだと』怒鳴りつけて、

げんこつしたとしたら、

今の世の中ではおじさんがしょっ引かれてしまうけれど、

もしおじさんが『あぶないよ~』なんてやさしく言いながらも、

それを止めずに子供が死んだとしたら、

結局その親はおじさんを責めると思うと、

どうすれば正解なのかが私にはわからない。

 

でも、どっちが子供のことを考えているのか、

というのは客観的に見ても、前者の行為ではないかと、

私はどうしても思ってしまう。

 

理解できない理由の暴力に晒される怖さ

ここまでは、暴力に対して、

少し肯定的とも思われる書き方をしてしまいましたが、

私も、いじめにあったことはあります。

ど田舎で、人と少しでも考え方が違うと、

(興味を持つ分野が違うと)

『あいつは気に入らない』

そして、その次は

『あいつがやることは何でも気に入らない』

そして最後には

『あいつの存在自体が気に入らない』

 

ここまでくると、

もういじめる理由自体が解らなく、

ただ、いるだけで気に入らなくなってしまうので、

苛める方も、苛められる方も、

外からの介入でもない限りは、

どうすれば良いのかわからないです。

 

ちなみに、私は悔しかったこともあるから、

必死で勉強して、運動して、

結果も残したけれど、

それでもやっぱり、対外的には認められても、

学校の中の立場は変わらず、

最終的には自分自身を責めるようになってしまい、

それからの脱却がなかなか難しいようになりました。

 

結局努力した甲斐があって、

隣町の進学校へ行くことが出来たので、

そういった所とは別れることが出来たけれど、

なんで暴力を受けるのかが、

存在が理由にまでなってしまうと、

解決する方法がそこから離れる以外にないので、

とても辛いものですね。

ましてや田舎だと転校できるわけもないので、

離れる事すらできないです。

 

話はそれましたが、

逆に理由がある場合(私が悪いことをしたとき)

の叱責については、理不尽さは感じませんでした。

自分が悪いことをしないように気をつけようと反省はするけれど、

その人に対して何かそれ以上想うことはないし、

それを思うぐらいなら、ちゃんとやれるようにしようと思うから。

 

良く、今回の件をDVに絡めて、

暴力による洗脳というけれど、

DVって、理由のない暴力で拘束して

何が正しいのかを解らなくすることで

洗脳することだと思います。

 

私がいじめられていたときも、

最終的には自分自身の人格を一度否定するぐらいに

悩んだけれど、

そういった理由のない暴力については、

私はとても嫌悪感を覚えます。

 

でも、最近のMCのやり方を見ていると、

あっちの方が暴力的に見えると言うのは、

過去の暴力を受けたことに対する。

私の主観的な見方かもしれないですね。

ああいった人はとてもうまいからですね。

『あいつは悪いやつだ』

から

『あいつがやることはやっぱり悪かった』

から

『あいつがいるだけで世の中が悪くなる』

なんだかいじめっ子みたいですね。

 

 

何はともあれ、勉強が手につかないくらい、

色々と溜まってしまったので、

少し吐き出したくなりました。

日記
スポンサーリンク
madjapanをフォローする
madのアーリーリタイア日記

コメント

タイトルとURLをコピーしました